第二回 続けることの難しさを感じて
―-本日のウォーキング瞑想を通してー―
新納健作
今日は曇天の中、2回目の「ウォーキング瞑想」(2009年11月22日)に参加した。前回時に「今までに感じたことのない『感じ』」を感じた。今回はどうだろう(この時点でマインドトークがはじまっている!)。
「新納くん、先頭歩いて」と北山先生に言われて、「えっ!」と感じたが、歩くことに集中、と思い進めた。
この前の、感じたことのない『感じ』があるためか、「もっと、もっと」という焦り、「うわー参加している」というドキドキ感、高揚感のマインドトークにやられた。
息をすーっとストローではくように長くはく、歩く、数字を数える。すごく息が気持ち良い。
ただ、確かにすごく集中しているだけれど、まだまだマインドトークは追ってくる。その強さ、しぶとさ。
吐く息の、すーっと吐いてお腹から湧くような満足感(北山:心の「安らぎの場」です)は感じることができた。しかし、時間も空間もぎゅっとなるような濃さを感じられなかった。
正直言って「慣れた」「できる」という変な慢心が、しぶとく、しぶとく、マインドトークとして残った。それを気づいては振り落とすのでいっぱいだった。切っても、切っても生えてくる。
今日はマインドトークのしつこさ、そしてそれを対処することの難しさ、続けることの難しさをすごく身にしみて感じた。
本当は慣れたということはないし、その時その時、同じものがないこと、その時でしかありえないことがマインドトークに振り回されないことだとこの文章をまとめながら感じた。また、自分の中の、すぐにわかったと思うこと、すぐに高揚してしまうことがマインドトークに引っかかりやすい自分のクセだと改めて思った。
(注.文中加線は北山)
《コーディネーター・北山喜与の返信》
今回も中々いいところに気づいていましたね。
どのような体験も、今現在の「体験」は「今の瞬間にしか存在しない」ものですね。
それに気づけば、日常起こるどのような事柄もその一瞬にして消えてしまい、過去の存在へと移っていくものだということが理解できますよね。
そして、実在しない過去を追い求めることのナンセンスさにも気づきますよね。
「 ウォーキング瞑想」は、そのように何処にもこだわることのない自分を構築していく力となってくれます。
継続こそ力です。皆と一緒に頑張りましょう!
( 次回は、12月6日(日)午前10時にJR山崎駅集合です。)