受講者の声の最近のブログ記事

【再掲】7月26日に丹田呼吸法の講習会がおこなわれました。少し関連ありますので、以前ご寄稿いただいた田中さんの素晴らしい受講レポート「洞察による新たな気づき」を再掲させていただきます(事務局)。

 

「洞察による新たな気づき」

              田中仁章

 

昨年10月3日に初めて受講して以来、5ヵ月半が経過いたしました。この間のマインドトーク洞察により、様々な新たな気づきを持つことができました。

ここでは課目的に、「ストロー呼吸法」、「坐禅」および「マインドトーク洞察ウォーキング」の実施中において感じたこと、あるいは、気づいたことについて述べさせていただきたいと思います。

 

1 ストロー呼吸法

何故ストローなんだろうという疑問が強く、「奇異をてらっての事かな」、「そんなことはないはずだ。きちんと研究された結果のものであるはずだ」、「いや以前から行なわれていたものに違いない」、「とにかくしっかり取り組んでみよう」、「しかしこんなことが役に立つのかな」などというマインドトークが受講中も出てきた。

勿論、それらの思考に流されないよう、“こだわり”や“とらわれ”という特性を持つマインドトークから離れ、集中して学ぼうと考えていたつもりではあった。

 

自習でも、又してもこのストローが気になり始め、何故ストローなのかという“懐疑的マインドトーク”が生じてしまう。

私には、このようなマインドトークが多いように感じられる。

しかし、自分が自分の状態を把握しながらの、この懐疑的態度によって、このストローが「今・ここ」並びに「腹式呼吸(横隔膜呼吸)」に意識を戻してくれるという基本的なことが分かった。

ストローは「今・ここ」への集中における「腹式呼吸」の実施、すなわち腹式呼吸に支えられたマインドフルネスへのアンカーであるという気づきがあった。北山先生は、車に乗ってストローを銜えタバコのように練習されたと伺ったが、なるほどと思う。

ストローには、息を細く長く吐いていくという望ましい呼吸法を習慣づけたり、荒い呼吸をなくして精神の静寂を保ったりという目的もあるとは思うが、やはり、「今・ここ」とのつながりを意識させるということ、ひいてはマインドトークの洞察に大きな意義を見出せるように思う。

何もない状態で腹式呼吸法を行なっていると、いつの間にか普通の呼吸に戻っているし、気づきも遅れる。

しかし、ストローという視覚的あるいは触覚的刺激が、「今・ここ」へのアンカーとして常に存在していれば、マインドトークへの気づきが容易になるし、洞察を入れやすくなる。

私も、先生の行動を倣わせていただいて、少しでも前進していきたい。

 

2 坐禅

「坐禅」によって数息観を中心としたマインドフルネスを行なったが、そもそも坐禅を行うことに対して、マインドトークを伴いがちであった。

「禅寺に行く方が本当の修養になるのではないか」と考えたり、「いやそんなことはない、自宅でも真剣に取り組めばしっかりと効果はあるはずだ。それが坐禅の良いところだ」とか、「いやいや効果は最初から期待すべきではないだろう」などと、“懐疑的マインドトーク”の中で坐禅に入るという状態だった。

 

坐禅中は、数息を維持しながらも、その一方において、「数息の方法はこれが一番よい方法なのだろうか」、「今までの坐禅は数息に集中していたと言えるのだろうか」、「これで正しい坐禅と言えるのだろうか」などの、“懐疑的マインドトーク”が、ぼんやりと数息の陰で時折出てきた。

それに気づくと、「いやこのような思考はマインドトークというよりも、正しい坐禅をするための検証だし、数息は続いている。だから問題ないのだ」などと考えてしまって、数息を凌駕してしまうこともあった。

 

このチェックという思考が、(向上心あるいは自己不信のどちらに起因したものかどうかは分からない。

おそらく相互作用の結果だとは思うが)私にとっては、最もやっかいなマインドトークの起点となっているように思われる。

 

数息観での腹式呼吸法(坐禅)は、ひたすら数に注意を向け、結果として、いわば数そのものに成り切るくらいの状態が求められることは、分かっているつもりである。

したがって、愚直に、とでも言えるような状態で数息に集中していくことが必要であるはずなのに、やはり時々、「自分は正しい坐禅を行っているのだろうか」、「いやこれは考えるべきではない」などという“価値への不安”あるいは“正誤への不安”というマインドトークが、チェックに続いて入ってしまう。

この検証、あるいはチェックを入れるということに起因するマインドトークは、なかなか止みそうもない。

 

とはいえ、面壁9年という故事もある。

初心者としては、些事に囚われずというか、洞察によるマインドトークへの気づきの内容に動揺することなく、そのままスーッと川下に流せる力を少しずつでも養える様、今後とも精進していきたい。

私のマインドトークが、自己信頼という基本的な信念に欠けるゆえか、向上しようという気持ちが現状に比して過大となっているためか、あるいは誇大自己妄想的な考えが形成されてしまっているゆえかは分からないが、この様な原因論的な思考に囚われず、「今・ここ」に生きる力を身につけることができる様、実践を重ねて半歩ずつでも前進していきたい。

 

3 マインドトーク洞察ウォーキング

足裏の感覚に意識を向けながら、歩数を数えつつ腹式呼吸を行なうウォーキングを毎日30分以上行なった。

ウォーキングを始めて、2カ月ほど経ったある日のことだった。

マインドトークから離れていたと思うが、一歩一歩が力強く心地よく感じられ、足の裏が敏感になり、しっかりと大地とつながっているという実感が生まれ始めていた。

「さっさっさっ」という一連のリズム感覚も生まれていたが、いつもと変わらない姿で前方に存在しているところの見慣れた山や雲が、突然、「つながっている感覚」の中で親しみを持って迫ってきた。

山が一つ一つの木々の集合体に感じられ、空を覆う雲も一滴一滴の粒子の集合体に感じられた。

自分も山も雲も皆同じで、皆はつながっており、同じ運命の集合体という存在であるような、生理的な喚起を伴った感覚を味わった。

極めて短時間ではあったし、その後は同じような感覚は味わっていないが、周りの世界との不思議な一体感が生まれた瞬間だった。

人間が刻々と変化する「今・ここ」に徹底して意識を集中できると、自他の境界が意識から消滅してしまう、とでも言えるのかもしれない。

ただ、きわめて貴重な体験であったとは思うが、そのような体験を希求することは、“快”の追求へと変化し、結果的にマインドトークにつながり、望ましい心の在り方ではないと言えるのかもしれない。

 

この体験は、「抹茶瞑想」のなかで体験した感情と酷似している。

以前、北山先生のご教示の下で行なった抹茶瞑想の時も、帰りの電車の中で窓越しの夜景を見ながらという、やや情感的な状況下ではあったが、若干の興奮とともにジワーッと感謝の念がわいて来たことがある。

圓徳院北書院での「あの時々刻々への集中」が、おにぎりや抹茶との、私なりの一体感を生み出した結果だったように思えた。

「あの時・あの瞬間、瞬間」への集中が、対象も我もなく、一体的な感覚を生み、そのことが、おにぎりや抹茶を対象としてではなく、同根としての感覚を生じさせたのではないだろうか。

逆説的だが、そのことが抹茶やおにぎりの個性を、際立たせていたのではないのだろうか。

 

もとより、自分のレベルが、一体感を生めるような段階に到達しているとか、高次のレベルに位置しているとは、とても思えない。

私は、洞察中においては、なんとかマインドトークを減らすことができてはいるものの、生活の中では、マインドトークに満たされた日々を送っているし、時には人間として恥ずかしくなるようなマインドトークに支配される時もある。ただ、人間は誰でも世界との一体感を感得できるような力を、潜在的に保有し得ているのだと思う。

問題は、それを感得できる環境をいかにして整え、いかにしてそのような力を拡大していくか、ということにあるように思える。

以上

 

ウオーキング瞑想に参加して 四十代主婦

 

1回、3回目に出席させていただきレポートを書く意志が、

周りの家族の状況で今になってしまいました。

これもひとつの私の課題ではあると思っています。

 

日々子供3人との関わりの中で、一人で自分を見つめられる場所が、今は

この瞑想の時間であり、大切にしていきます。

 

1回目に参加した時は、一言でいうなら心が軽くなりました。

何も余計なことを考えず、吐く息に集中することで、

周りからはいってくる雑音、雑念、思考を打ち切り、

ただただ集中し歩数を重ねていくことがこんなにすがすがしいものなのか。

どれだけ今までの生活は「マインドトーク」とやらに翻弄されていたのかが、

身体で感じることができました。

自分という軸にいろいろなものがぶら下がっていて、

それを一旦除くと自分の軸だけ。ただ一本の軸。大切の軸・・・。

 

普段の生活に戻るとまたまた重たく背負ってしまい、いろんなものをふりはらう

コツを身につけると決め第3回目に参加。

 

皆のエネルギーが高いのか、容易に歩く足の感覚、吐く息への集中、身体のバランスがとれ、「呼吸」とやらが深くなるにつれて自分の中に入るという感覚が沸いてきました。

なんとなく自分の殻がぷりっとむけるようなでもむけないような。殻がぷりっとむけるなら見てみたい、感じたい、強くなりたい・・・。

 

普段の生活では、人と比べどうしても自分自身の弱さをみてしまい、それに翻弄されて自信がもてない。

19年間正社員として子育てしながら働き、続けてきた自分も幼稚園ママの中に入ると周りを気にするところに弱さを感じる私。

ステータスではない。自分自身の輝きは自分の中にあるのに。

 

何事もプラスに考え、堂々と、そこまで自信たっぷりにみせつけるか!!という人に対し、

そこまで行き過ぎるとどうかと思うと、感じると同時に、一種の憧れを持っている私もいる。

この問題を解き明かすキーは呼吸??

更に学びを深めたいと次回参加に向け、吐く息をしっかり、細く、長く、子供を今もひざ載せながら呼吸をしている。

 

 

 

 

「体から体で気づかされたこと」

12月6日 第3回ウォーキング瞑想を通じて

新納健作

 

12月というが大変日差しのあたたかい中、第3回ウォーキング瞑想に参加させていただいた。そして今回もさまざまなことに気づかされた。

今回は特に体からの気づきだ。

歩くことに集中し、立ち止まってからの体のバランスチェック。息をできるだけ長く吐きながら、自分の歩いている歩数を数えながら、「歩くこと」に集中する。ここまではなんとか集中してできた。しかし、次の体のバランスチェックが難しい!

 

壁にもたれながら、背筋を伸ばし、あごをひきまっすぐに立つ。そしてそのまっすぐのまま、壁に体を密着させながらかかとから片足を上げる。すごく動作として簡単なように思われるが、これがなんと難しいことか。第一まっすぐに立つということ。私の場合は右肩が下がっていて水平になっていないので、他の人から言われてなんとか水平にしてみたが、自分の中で「ここがまっすぐのところ」とは納得できなかった。他にもさまざまなバランスチェックをやってみたが、「!?」であった。

 

自分ができないためか、「他の人はできてるのはなぜ!」と恥ずかしいという思いにかられたり、「これは自分が悪いんじゃない」と逃避したり、「だめだな、自分は・・・」と諦めの思いにかられたり。つまりマインドトークにすっかりからめとられ、本来できていたことも行うことが難しかった

 

しかし、これが今私が生活する環境と似ているのではないか。普段の生活では、自分の好きなこと等できることばかりではなく、さまざまなこと、嫌いだと思うこと、苦手だと思うことをしなくてはいけない。その中でいかにマインドトークなしで向きあうか。先のことを考え過ぎずに、目の前のことに真剣に、それ以外はなんにも考えず取り組む。ただただ行うのみ。それでいいのではないか。その際に基本となるのが自分自身の心身の強さだと思う。

 

今回は、体から体でさまざまなことを気づかされた。なかなか文章で書いてみても、「エイッ!」とまっすぐ片足あげることはわからない。ときには逃げ出したくなるけれども、やってみるしかないのだ。

 

【コーディネータ・北山喜与の返信】

今回もまた気づきを深めましたね。不得手なことを人前で体験する時の思いや感情にシッカリと気づいたこと、次にその気づきを自分の生活環境へと洞察を深めていったことは素晴らしいですね。その結果導き出された「只行うのみ」はこのプログラム全体を総括する言葉です。しかし、その「只」がなかなか曲者です。なかなか思うようになってくれませんね。益々皆と一緒にがんばりましょう!!

 

(次回第4回「ウォーキング瞑想at JR山崎」今年最後の講習会は、1220日(日)10:00JR山崎駅集合です。)

 

「自分で歩いている!」

20091122日ウォーキング瞑想講習会レポート

伊藤義晃

 

まだまだ二回目ですが、ただ「歩くことに集中する」ことがこんなに難しいとは!と本当に感じています。

 周りのきれいな紅葉が目に入るたびに、鳥の鳴き声が聞こえるたびに意識はそっちにいって、どうしても連想ゲームが始まってしまいました。

 でも連想ゲームを何度も中断しながら歩いていると、ただ漫然と歩いているんではなく、「自分で歩いている」という実感が湧いてきます。

 後でふと「歩く」ことを「仕事」に置き換えてみたんですが、「仕事」の周りにはいろんな事があって、そのたびに勝手な連想ゲームを繰り返していたな…と改めて気付きました。

 「歩く」ことに集中しながらしばらくして、北山先生から「もう一時間くらい歩いていますね」という声にびっくりしました。あっという間で、しかも全然疲れていません。

普段ごちゃごちゃ考えているのは、すごく疲れることなんですね。

 ウォーキング瞑想は週末のちょっとした気分転換に(脳の休憩)という意味でも楽しく参加させて頂いています。

 切っても切れない「マインドトーク」と付き合っていくために、これからもよろしくお願いします。

 

《コーディネーター・北山喜与の返信》

本当にまだ2回目ですが、中々鋭いところに気づいてきましたね。

普段、車で例えるなら無操縦運転の状態で歩いていることから一転して、自分で歩いているという自己操縦感を得たことは素晴らしい気づきですよ!

その上で、「歩」くことを「仕事」に置き換え、いかに普段無操縦運転の状態でマインドトークに翻弄されながら仕事に当たっていたかに気づいたということは、自分の生活全般をどうすごせばいいのかへの大きな気づきとなっていきますよね。

その気づきを大切に生活実践の中で確たるものへと養っていくことが、このウォーキング瞑想の目的でもあるのです。

あなたの提案のように、皆で意見交換など交えながら、皆で自己成長への道を歩いていきましょう!

(次回のウォーキング瞑想は126日(日)10:00JR山崎集合。雨天でも決行です。)

 

 

第二回 続けることの難しさを感じて

-本日のウォーキング瞑想を通してー―  

新納健作

 

今日は曇天の中、2回目の「ウォーキング瞑想」(20091122日)に参加した。前回時に「今までに感じたことのない『感じ』」を感じた。今回はどうだろう(この時点でマインドトークがはじまっている!)。

「新納くん、先頭歩いて」と北山先生に言われて、「えっ!」と感じたが、歩くことに集中、と思い進めた。

この前の、感じたことのない『感じ』があるためか、「もっと、もっと」という焦り、「うわー参加している」というドキドキ感、高揚感のマインドトークにやられた。

息をすーっとストローではくように長くはく、歩く、数字を数える。すごく息が気持ち良い

ただ、確かにすごく集中しているだけれど、まだまだマインドトークは追ってくる。その強さ、しぶとさ。

吐く息の、すーっと吐いてお腹から湧くような満足感(北山:心の「安らぎの場」です)は感じることができた。しかし、時間も空間もぎゅっとなるような濃さを感じられなかった

正直言って「慣れた」「できる」という変な慢心が、しぶとく、しぶとく、マインドトークとして残った。それを気づいては振り落とすのでいっぱいだった。切っても、切っても生えてくる。

今日はマインドトークのしつこさ、そしてそれを対処することの難しさ、続けることの難しさをすごく身にしみて感じた。

本当は慣れたということはないし、その時その時、同じものがないこと、その時でしかありえないことがマインドトークに振り回されないことだとこの文章をまとめながら感じた。また、自分の中の、すぐにわかったと思うこと、すぐに高揚してしまうことがマインドトークに引っかかりやすい自分のクセだと改めて思った。

(注.文中加線は北山)

 

《コーディネーター・北山喜与の返信》

今回も中々いいところに気づいていましたね。

どのような体験も、今現在の「体験」は「今の瞬間にしか存在しない」ものですね。

それに気づけば、日常起こるどのような事柄もその一瞬にして消えてしまい、過去の存在へと移っていくものだということが理解できますよね。

そして、実在しない過去を追い求めることのナンセンスさにも気づきますよね。

 ウォーキング瞑想」は、そのように何処にもこだわることのない自分を構築していく力となってくれます。

 継続こそ力です。皆と一緒に頑張りましょう!

 次回は、126日(日)午前10時にJR山崎駅集合です。)

 

歩くことに集中して今までに感じたことのない「感じ」を感じたこと

                                    11/8講習会「ウォーキング瞑想 at JR山崎」レポート

 

 

 

新納 健作

 

今日の晴天の中、山崎は日の光も風も気持ちがよい。その中で「ウォーキング瞑想」をはじめて行った。私自身日課として夜中に歩いているが、それとどうちがうのだろうかと想像してみたが、やってみないとわからんのですぐに想像をやめた。

 

まずはじめに息を吐いている間、数字を数えながら歩くことをはじめた。周りの参加者の歩くスピード、数の数え方、木々の様子になかなか集中しきれずに中腹の広場に到着した。

 

中休みと感想、そして体のバランスチェック。体を糸で引っ張られたようにまっすぐにしてそのままに、(自分でどこがどう歪んでいるのかわかりにくい!)左右の足を片足づつ、かかとからまっすぐ上げて止め、下ろす。私の場合は左足をかかとからまっすぐ上げて止めて、下ろすのに苦労してまげながら上げて下ろすのが一杯だった。なかなかうまくいかないので何回もしてみたが難しい。自分がこうしたいと思っているのに、動かない体!しかし、本当は私が『思っている』(『考えている』)と思っているだけで、体も合わせて思っていないのではないか。北山先生、他の参加者の方々とのいろいろな話をしているうちに気づいた。

 

次に、より急な坂道を歩いた。自分の身長と同じ範囲を見てという北山先生のアドバイスを参考にしながら歩くことに集中した。

 

ここからの体験が今までに感じたことのない体験だった。今までに体験したことのないことなので、言葉でいいにくいが、「こんな『感じ』感じたことのない」感じが感じられた。気持いいのか悪いのかわからない感じ。

 

息を吐く。足元に集中して歩く。数を数える。坂道のこと、周りの参加者の方々、木々。ただあるだけ。歩くことに集中する。時間も空間もぎゅっと濃くなるとしかいいようのないこの感じ。はじめて。

 

あとで坂道を降りていって汗をかきはじめた。歩いている「そのとき」でしかない一瞬、一瞬。あとでどんなのだったか思い出せない。「思い出す」ということも起こってこない一瞬、一瞬。

 

この今までに感じたことのない『感じ』を、歩いている一瞬、一瞬に感じた。今日感じただけにするのではなく続けていきたい。こつこつと。

 

日本文化に支えられてのマインドフルなひととき

              福岡県 田中仁章

 

 人間性探求研究所による講習に日帰りで参加するために、10月3日土曜日の朝5時半に起きて、福岡の八女から京都へと向かいました。この講習を終え、家に帰り着いたのは、JRの人身事故の影響もあって真夜中を過ぎてしまいました。61歳の私にとっては、ややハードスケジュールでしたが、愛媛や広島からの若い参加者もおられて、マインドフルの広がりを実感した一日でもありました。

昼過ぎに、京都市東山区にある高台寺洗心寮に着くと、理事長の北山先生ご自身が、私を含めた初めての参加者4人に対して、事前の説明を行って下さいました。実は正直に申し上げると、お会いするまでは、北山先生は男性と勝手に思い込んでいた私は、女性のお方であったことにやや面食らって、挨拶も中途半端なものになってしまいました。

講習の前半は、「自覚的意識を養う」ことの理論的な究明を目的として、北山先生は江戸時代の名著とされる『茶事訣』を読み解かれ、立命館大学の林先生は『宇宙的無の自覚』と題して持論を展開されました。その後、両先生が対談を進められながら、参加者からの質問にも答えられるという形で、前半は進められました。

未熟さの露呈を恐れずに述べるならば、林先生のお話の概要は、次のようなことであったと思います。自分という絶対的存在である唯今の意識において、この瞬間瞬間を無評価的に観察し自覚していくことが、即ち、無の存在として自分を意識し対象化していく事が、実は、絶対的有とつながっているのであるとの自説を呈示していただいたのだと思います。人間性心理学派のロジャーズは、「宇宙は進化の方向へと向かっている」ことを根本仮説とした上で、「クライアントへの無条件の(絶対的)肯定的な配慮」が、クライアント本来の「自己実現化傾向」を蘇らせるとしました。ロジャーズは2者関係の経験から、クライアントを無評価的に受容することが、そのクライアント本来の自己を蘇らせるとしています。ここで自他の区別を取り払い、人の心の様相のみに視点を置くと、マインドフルにも同じような仮説が存在しているように思えます。「自らの瞬間瞬間の心の在り様を、自らが、価値観を交えずに眺め受け流していくことが、自らが絶対的な有に近づく道である」と言えるのかもしれません。私の能力の至らなさから誤った解釈をしているかもしれませんが、林先生の講義を拝聴して私なりに考えた内容です。ただ講義中、林先生が行動を支持する力の必要性を、また北山先生が物事の本質の重みを強調されたように、理論に埋没するのではなく、知と行の合一を目指して、今後も精進してまいりたいと思います。

後半は、秀吉の妻・北政所ねね終焉の地である圓徳院北書院を借り切っての「抹茶瞑想」が行われました。私のように福岡のローカルに居住している者にとっては、二度とないと言うと大袈裟かもしれませんが、極めて有難い貴重な体験となりました。おにぎりをいただき、お茶を飲むという極々日常的な行為が、歴史ある日本文化に包まれ、中秋の名月に照らされながら、幻想的な蝋燭の薄明かりの中で、静かに淡々と行われました。北山先生のご教示によって、思考へのとらわれから離れ余計なことを考えずに、おにぎりとお茶という対象に私なりに近づき、その持ち味を味わいながら、充実したひとときを体験することができました。帰りの列車の中で、その時の集中と、その結果としての安定がもたらす充実したひとときへの満足感が、おにぎりの味の記憶と同時に、内部からジワーッと生じてまいりました。あの時に、あの時々刻々を十分に味わっていたからこその、感謝の念であったのかもとも思います。日本の文化に包まれながらのマインドフルの体験は、私の今後の日常の在りように、大きな影響を与えることになるでしょう。日本の文化は、望ましい行動の源泉となる力を持っているのかもしれないという気づきもありました。北山先生が推進しようとされていることの一端を、理解できたようにも感じています。このような体験を持つことができた幸せに、ここに、心より感謝申し上げます。

人にも天候にも恵まれた有難い一日でした。

 

 

マインドトーク洞察教室に参加し、気付かされたこと

「マインドトーク洞察法」「呼吸法実践」を通して学んだこと

  後藤久美

 

今までわたしは、自分という人間は「頭の中でいつも自分や他人の言動について考えている」と思って生きてきました。

けれども「マインドトーク洞察法」を知りそれは単にマインドトークにいつも振り回されていただけだということに気付かされました。

いつ気づいたのか、どうして気づけたのかと言えば、ある日突然繋がった、としか言いようがありません。

・歩く瞑想

・食べる瞑想

・呼吸法

・ストレッチ・メディテーション

・そして数々の講演

・「こころの脳」

・「唯識」

・そして坐禅体験

・肝心かなめの(マインドトーク)

一つ一つは、受講している最中は別々の独立したもののようでした。

けれどそれは、スパイラル方式という勉強法さながらある時を境にして、一気にマインドトークの正体に気付くという一点に向かって繋がりあって進んでいたのでした。

すべての事柄に共通するのは、(とらわれる・こだわる)心に振り回されるなということでしょうか。

私は、「あの時あの人の言動はこうだった」という過去の経験を、これからとるべき行動の判断材料としてきたつもりです。

そしてそのことが禍のもとだったんです。でもそのことに気付くことはできませんでした。

 

過去の経験という記憶の中で、自分の中にいる相手と、どんどん勝手に言葉をやりとりしている始末でした。

「妄想」の中でのそのやりとりを、あたかもそれが実際の相手の気持ち・言動と錯覚をして、どんどん現実とかい離した自分だけのシナリオの世界で、苛立ち、思い悩んでいました。

そのやりとりは、現実の世界で役に立つどころか、私を、誤った方向へと転がしていったのです。

 

その妄想のシナリオのセリフがマインドトークだと思うのです。

今まで、私は数限りなく、「あなたは変われる」「くよくよしないですむ」という発想の書物を読んできました。

読んだその時は、自分は変われる、これからはうまく自分の気持ちを処理していけるという確信と、明るい期待にみちていました。

が、結局いつも自分の感情の渦の中から抜け出して、静かに自分を見つめ、とるべき道を知ることはできませんでした。

どんなに対処法を知っても根本的な過ちに気付くことができなかったからだと思います。

 

このマインドトークというものが朧げにわかった今、どうしてそれができなかったか、考えてみました。

これは正直わかりませんでした。知らなかった、ただあるがままを見つめるということを知らなかったというほかありません。

そして親として子供たちが成人した今、遅まきながらでもこのことに気付かせていただけたことを本当に感謝しているのです。

できない自分、迷う自分を卑下することなくできるこの方法は、心地よく続けることができます。

そういうことを思う性質なんだと思うと受け入れやすく、変に肩に力を入れることもなく、単純にそうならないように気を付けられるようになったんです。

 

この方法の素晴らしい点は、誰でもが必ず理解し、実践できること。

自分が自分のカウンセリングをするような形、以前の名称のセルフカウンセリング、自分で自分をカウンセリングすることにあると思います。

悟りも、心理学的な知識も、know-how本を理解する読解力も、人生における経験も、必要ではありませんでした。

これらはあればあったで、ひょっとしたら、よりマインドトークを深く理解する助けにはなるかもしれませんが、これらをすこしずつわかったところで、何も救われた感じはありませんでした。

そしてこの「よく観る」というこのことは、何が大事か、優先順位、人間関係、生きていく上ですべてにおいて、応用を利かせて対応する怖さを無くしてくれました。

できない自分、恐れる自分、それも込みで自分なので、無理やりそれをなくす必要はありませんでした。

そういうことは事実としてあった上で、じゃあどうすれば、気持ちよく対応できるかを考えることができたんです。

なにかにつけ、こんなに気持ちを楽にして、いろいろな問題に対峙できたのは初めての経験でした。

一度それができてうまくいくと、どんどん範囲を広げていき、職場・家庭・友人、さまざまな人間関係の中そういうことができるようになっていきました。

自分がそのように楽に対応できるようになっていくと、不思議に今まで軋轢のあった周囲の対応が変化していったんです。

以前は、他人の忠告や意見は、私には批判に聞こえました。

事実納得できないダメ出しがあっても、他人にはそう見えるのだ、それ以下でもそれ以上でもないと冷静に受け取ることができました。

そうなると、ひとの意見に素直に耳を傾けられるようになりました。

問題があるのが問題ではなく、問題を、事実以上の大きなことに勝手に思ってしまうことが問題だったように思います。

 

今、思いのほかうまく行っていること、楽になった自分に驚いています。

でもはじめからこのことが私の中にうまく入ってきたわけではありません。

こんなことをいってはなんですが、理論だけだったら、凝り固まった私の頭は受け入れなれなかったと思います。

今にして思うのは、ボディスキャンと、呼吸法によるリラックスを体感していなければわたしはまだマインドトークに捉われていたと思います。

ボディスキャンによって体の緊張の存在を知り、それをほどくことがどれほど心地よいかということ。

精神的に追い込まれたとき、ただ深く腹式で呼吸することで、どれほど気持ちが落ち着くかということ。

マインドトークということがらを理解したいという意欲を促したのは、その効果を身をもって知ったことでした。

自分の体に起こったこの劇的な良い変化は、どんな言葉より説得力がありました。体と脳がリラックスした状態だからこそまた、マインドトークの説明も素直に腑に落ちていったんだと思います。

まだまだ私は、マインドトークに対する考え方も、ボディスキャンと、呼吸法も、十分体得できたとは言えませんが、どんどん日を追うごとに自分がどうも進化していっているように感じています。

それがとても楽しみな、今はそんな気持ちでいる私です。

 

先週土曜日から1泊で八幡市にある禅寺で座禅修行を行ってきました。
特に精神科学に興味を持っていた訳でも、自分自身の精神が病んでいる(?)とは思ってはいないのですが、以前にお知り合いになった花園大学の北山先生がに主宰する「人間性探究研究所」の合宿イベントに招待させて頂いたので参加させて貰いました。
NPO法人 人間性探究研究所 では、「頭の中で全く無関係に思考が働く状態」を『マインドトーク』と呼び、その「マインドトーク」が人間の感情や精神を支配する事で自己を見失わせ、自己を翻弄させている、あるいは、自己を破滅に導く原因であると提唱しています。「マインドトーク」を知るためには、自らがどのような課程で「マインドトーク」に侵されているか?を知る「マインドトーク洞察法」を身につける事で自己管理能力の向上を目指しています。
「マインドトーク洞察法」とは、心理学と医学を元に検証されているキチンとした学問であり、アメリカ・マサチューセッツ大学医学部付属病院で開発されたプログラムと臨床実績を得て発展したプログラムです。よって、巷で言う「精神科学」とは一線を画しているものだと言う事は付け加えておかなければなりません。

この「マインドトーク」に頭の中が支配されてしまうと、例えば生活の中で「嫌味を言われた」「小言を言われた」「怒られた」と言った決して気分的には良くない状態が発生した後も、自らの心の中で嫌な思い出や言葉だけが頭に残ってしまって増長されてしまう。簡単に言ってしまえば、「妄想」が膨らんで自己を失わせてしまう事が「マインドトーク」に支配されてしまった状態と言っています。その結果、「自己嫌悪」に陥ったり、過剰反応をしてしまったり、現在社会問題にもなっている「キレやすい」と言った問題を引き起こす原因にもなります。
しかし、人間の思考から「マインドトーク」を無くす事は不可能なので、我々は「妄想は、マインドトークの一部である」と認識して日々の生活を送る重要性を謳っています。

今回の合宿には、以前に「マインドトーク」に冒されて体調を崩した経験のある方や、将来「マインドトーク洞察法」の指導者となる方、仏教関係者、学校の先生や私みたいな「留学カウンセラー」などの面々が集まって実践教義を受講する事になりました。合宿では、「マインドトーク洞察法」についての講義や呼吸法(腹式呼吸)のやり方、ウォーキングメディテーション、そして座禅などを通じて所作の一挙一動足一つ一つ集中力を持つ訓練が行われました。
「マインドトーク」を意識して行動してみると、様々な所で「雑念=マインドトーク」が頭を過ります。「何かに集中する」と言う至って単純で簡単な行為であっても、所々で「マインドトーク」が頭の中を過ぎります。それが、視覚に入ってくる変化(風で動く木々や鳥など)に目が奪われたり、聴覚に感じる物音(風の音とか鳥の声)に気が向いてしまったりと言った「マインドトーク」から、意識の中に入ってくる「自分の囁き」と言った「マインドトーク」など・・・。時折それらの「マインドトーク」が意識に入ってくる事を自覚して、集中している作業との間に境界線を引く事で精神の安定を行う訓練を養いました。
このマインドトークの理論は仏教での「禅」の理論と同じであり、昔風の「禅」修業を今風の「マインドトーク」に置き換えて実践していると考えても良いでしょう。

で、これを学んでどうするの???って・・・。今回は自己認識(発見)をするのにはとても良い機会でした。当初、北山先生からお誘いを頂き合宿に参加させて頂く際には、「マインドトーク洞察法」を知る事で海外留学を契機に「心を痛めてしまった人」のケアーや留学出発前に「マインドトーク」によって自律を失なわせない為の予防知識として「留学前の心掛け」や「気持ちの在り方」などを留学カウンセリングに活かそうと思う気持ちが強かったのですが、実際に研修を行って気づいた事は「まず自分が「マインドトーク」に捕らわれている」と言う事が客観視できた事。私自身、まだまだ修行が足りないみたいです。

研修に参加すると言う事で妻が、「変な壺とか買って帰って来んといてやぁ、印鑑持って行ったらあかんで!」と言っていたのですが、「自身の心の中の壺を覗き見る事はできた」と言う事でオチになりましたでしょうか??

(大西輝彦 KALEIDO留学サービス代表)

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「集中する保育士」

研修では「ボディスキャン」「呼吸法」「マインドトーク」といった初めて耳にした言葉ばかりでした。

その中でも研修の中心となったのは『マインドトーク』(自動思考)という言葉でした。

 

マインドトークとは⇒静かに自分の心を観察すると、頭の中で自分の意思とは全く無関係に常時頭の中に何らかの「想い」が駆け巡っていたり、勝手な「会話」をしている事がある。

言葉には出さないが頭の中で喜・怒・悲・楽・希望・愛情・恐怖といった様々な感情が沸き起こり思考や会話が自動的に続いていくことが多い。マインドトークに邪魔されない自己を見つけなければならない。マインドトークに振り回されてはいけない。

 

レーズンを食べるメディテーションで、レーズンを「ただ食べる」という事をしたことがない私にとってはレーズンって「こんな味がするんだ」「こんな音がするんだ」「レーズンがなくなるまでは、こんなに噛まないといけないんだ」など、レーズンを食べることだけにかなり集中する事ができました。でも、やはりその事だけではなく、やはり違う事を考えている自分もいました。今マインドトークしてると気付く自分がいました。

 

子ども達にも保育の中でこのように一つの食べ物に対して食べる事を集中し、どんな味がするか、どのような音がするか、どのように無くなっていくかなど、に集中するという事を通して、何かに集中するという事を身につけていく事も大切だと思いました。

 

「ボディースキャン」では、先生の言葉に耳をかたむけ、その通り集中する事が出来たが、最後の方は気持ちがよすぎて、ほとんど意識がなくなってしまいました。

そしてマインドトークをしている自分がいました。「呼吸法」でも始めは、その事だけに集中する事が出来たがふと気づくとマインドトークをしてしまう自分がいました。

 

歩くというメディテーションでも、人の声がするとそっちの方に気がいってしまうのです。

マインドトークをしている事に気づきすぐにまた、その事だけに集中するという事をにもどします。

今回は、マインドトークをしていると気づけるようになった自分がすごいと思いました。

 

このように「マインドトーク」について学んでいく中で、私自身「心の中は常にマインドトークだらけだ」、と気づきました。頭の中で常に色んな想いが駆け巡っていて一人で会話をしているのです。特に自分の中で不安に思った事があった時など、頭の中で「どうしよう」「これでいいのかな??」と物事をマイナスにばかり考えてしますのです。マインドトークをする事がいけないのではないが、そのマインドトークをどこかで切り離さなければ前に進む事は出来ないと思いました。すばやくマインドトークに気づき自己をみつけていく事も大切だと分かりました。

 

現代、虐待という行為が増えてきている。それも親が持っている不安な思い、マインドトークからきている部分もあると思いました。保育園でも親の思いを受け入れ一緒に子ども達の子育てをやっていきたいです。

A.I.

 

寺子屋講座から
註.下記は、「寺子屋」講座(毎週1度、3時間程度のクラスを、8回で終了とする講座)終了者アンケートを考察したものである。

 

1.事例 女性、29歳)
(1)人間関係への変化について
 「自分自身の変化については、マインドトークを観る事によって、気分や感情を切ったりして、コントロールできたりする。そして、心配だから何かをするとか、不安だから、などと、何か感情をすりかえての行動をやめてみると、すごく自由になり、本当はどうしたいのかということを、心配.不安もまじえ良い悪いではなく天びんにのせ、改めて選択できるようになったと思う。人間関係では、過去の情報から、きっとまたこうだ、と決めつけ、あれこれ思い悩んだり決めつけてイライラして、本当の、その人の今と出会ってなかった事に気がついた。相手を信頼することで仕事も人間関係もスムーズになった。」(筆者下線)
【考察】 自由になったと記述しているが、これは外部からの束縛からではないことは言うまでもないことであるが、理性による管理下の自由ではない。マインドトークを解き放った時にしか味わえない自由であり、禅による心の教育、或いはマインドトーク洞察法によって求める所である。人間関係においても、マインドトークに翻弄されていない時、初めて、「その人のいま」と「今の自分」の出会いが可能となる。そして本来の信頼関係が構築されていくのである。

(2)家族関係への変化について
 「主人の話を受け止められるようになった。前はカチン!ときたらすぐに戦ってしまっていて自分の正しさを押し通そうとしたり、相手の正しさを受け止められなかったりしていたように思う。今は、そうか、今はそんな風に感じているのか、とただ聞けるようになった。母や弟に関しては私が何とかしなくてはという意識が強く、彼らに何か問題が起きた時、勝手にすごくかぶってしまっていたりしていたのが、最近めっきりなくなりました。相手を信頼することで自分が自由になったという感じ。父にはいつも感情的に振り回されていたのですが、間をおけるようになった。父を変えようという思いを手放し、父は父、反応するのをやめたら、すごく楽に見守れるようになりました。人を何とかするのではなく、まず受け入れ、受け止める事が大事な事に気がつき、やってみると自分自身がとても楽になりました。」
【考察】 相手の話を「ただ聞く」ということは、そこに自分の概念が一切引っかかることがない状態である。マインドトークによる反応なく聞いている状態である。このとき初めて、相手の真意を聞くことができる。この状態でこそ真の信頼関係も構築される。

(3)仕事での人間関係への変化について
 「仕事での人間関係のトラブルやイライラは、どうせ~なはずだ、とかの思い込みや、逆にこうなったらどうしようと起きていない事への不安や心配に、自分が振り回されていることに気がついていないまま、人と話をしたり、接していた事からすべて起きていたように思う。逆に、人がそのような所(上記のような)にはまっていることも観察できたりして、本当に何が言いたいのかを聞けたり、感情同士のぶつかりあいをしない事により、より相手を思いやれたり、信頼したり、その結果たくさんの事がスムーズに進むようになりました。」
【考察】 一般には、ぶつかり合いにより、人間関係を難しくしているところがあるが、彼女は、親が子供を観るような視点に立って、人に接することが出来るようになっている。マインドトークを「観て」、そのような価値観や信念、不信感の源を「放つ」ことにより、それらから自由に解き放たれてはじめて、「思いやり」とか「信頼」「共感」などを会得するということがわかる。

(4)自分自身にとっては、
 「ありのまま、あるがままでいい安心感や、自分自身に幸せになっても良いのだという、許可がおりたような感じがあります。感情、気分、マインドトークでなく、本当にしたいと思っている事を選択し、その自分を許し正直になることで、人と同じ〈今〉にいることを意識できるようになりました。マインドトークが時間をつくっている。自分の意識で日々、時間の長さが変わることを発見しました。」


2.事例 (女性、62歳)
(1)人間関係
 「自分の状態(自分の普通・良い・悪い)を知り、進んだり、やめたり、することが多くなった。極度の疲れが私自身にも、まわりの人達にも悪い状況を引き起こすため、中断を入れたり、やめたりして執着を捨てたり、少しずつ自分をコントロール出来るようになってきた。」

(2)家族関係
 「自分自身が毅然として律する。自然体でいる。家族の中でも、外でも、同じ様に日々過ごして行こうと思う様になった。」

(3)仕事関係
 「今迄自分にとって大切だと思っていた事が、たとえば“一生懸命がんばる”事が、自分にとっても、まわりにとっても、疲れる事である等が、わかる様になった。反って、自分を責めたり、いためたり、どうしらよいか、と又考えてしまうが、次に行くためのステップと思う。」

(4)自分自身にとっては、どのようなメリットを感じておられますか?
 「もう無理だとあきらめていた事が自分次第で、どの様にでも広がっていくという希望がうまれてきた。」
【考察】 この方は、息子さんに仕事を任せてはいるものの、どこか、未だ自分がしっかり頑張らなければならない、という気持ちが離れないでいた。しかし、マインドトークを観ることが出来るようになると、周りの世界と自分の空回りしている状況が見え、本当は、仕事を離れることへの自分の不安、寂しさが隠れていたことに気づいた。そしていま、新たに、自分の人生経験を生かして何か社会貢献できることを模索し始め、新しい方向へと自分をチェンジし始めている。


3.事例 (女性、30歳)
(1)人間関係
 「自分自身の事が気に入らなかったが、今は、今の私で十分だと思えるようになった。あたりまえだと思っていた事がありがたいと思えるようになった。」

(2)仕事関係
「仕事の話をしていたのに違う話にそれた時、気づき、話題を戻す事が出来るようになった。一人でやっていた事を、人に任せることができるようになった。コミュニケーションが以前に比べとれるようになり、仕事の効率が良くなった。」

(3)自分自身

  • 集中力がついた。
  • 気持ちにゆとりがもてるようになった。
  • 先の事を考えすぎて、不安や心配事を増やしていたが、今、やる事、できる事など計画性をもって、あまり心配なく過ごせるようになった。
  • 自分が好きになった。
  • 自分の体を休めるようになった。

【考察】 仕事をスタッフに任せ切れなく、上司との関係や他との人間関係にストレスを抱えていたが、自分を受け入れてからその関係もうまくいくようになった。雰囲気も笑顔が出て明るくなり、積極的になった。上司から別人のように明るくなったと言われている。


4.事例 (女性、43歳)
(1)人間関係
 「そのまま受け入れようとしている。いままでは、どうして、なぜ、私だけが、 と言う感情の方が強かった様に思うが、現実を見れる様になった。」

(2)家族関係
 「あせらないで、薄紙をはがすように、と先生のおことばが、頭の中にしみこんできていて、以前より一歩一歩というふうに、子供達を見れる心のゆとりが生まれてきている様に思います。あせらないこと、これをいつも心において、接していきたいといつも思ってます。」

(3)自分自身
「現実を受け入れる。ということ。他人にばかりもとめない。自分を変える。主人にも子供にも、という思いがめばえ始めているように思えてきてます。主人は、もう変わることはないと思います。本人は自分を変えるつもりはまったくないのですから。主人は、極度の被害妄想です。これはほんとうに20年つき合っているのですから、私がどうもがいても、本人のそれが正しいと思っているのですから変わり様がありません。私は、20年間どうしてどうして、ということばかり考えていました。でも、現実を受け入れるしかないのです。でも、私は、目をそむけているのではありません。もちろん、内緒で、病院にも行ってます。でも本人の自覚がなければ一生明かりは見えないこともわかってます。私自身が違う視点でみなくてはならない事をこの頃わかってきました。
編み物を仕上げる様に一歩一歩私自身を変えていく事だなあ、とこの頃思う様になりました。マインドトーク洞察法に行く道中もなんだか身がしまるというか、天龍寺の門をくぐると、あーそうか一歩一歩がんばろうという思いがします。だから、京都に行き続けるのだと思います。自分に言い聞かせるために。

【考察】 彼女は結婚以来抱えてきた大変な問題を、自分の環境そのまま受け入れることにより乗り越えようと明るく取組んでいる。家族関係も改善され、それぞれに積極的に人生を歩み始めている。同じ境遇に在る人に少しでも支えになりたいと、相談相手を勤めたりしている。


5.事例 (女性、66歳)
(1)人間関係
 「他人の全部を受け入れられます。でも、深く追求しないこと。別の人格・別の生活・別の価値観が有り、育ってきた環境の違い、親のつちかった価値観の違い、赤子の時から受けて来るので、自と他は同一線上では一緒にならない。常識として協調性が生まれてくる、と思う。自分とは別人と思う気持ちを強く持っている。(悪く言えば、人は人、自分は自分ですかね?)その中で人を許す気持ちを多く持てる様になった。」

(2)自分自身
 「他人からの思いやりの言葉や態度を率直に受けられ、嬉しく思える様になりました。
だから、私も他人に対して親切にしなくては、と思っています。

  • 他人を受け入れられる様になった事、以前の私はとてもフレンドリーで友人も多くて個々の人達から自分と違う考えを持っている人の考え方をスポイルして、あー、こういう考え方も有るのかと思って、自分も取り入れ生き方を楽にして来ていました。しかし、自分の中に一本の線を引いていて、それより内に絶対に入れないという信念の様なものを持っていましたが、この寺子屋講座に入れて頂き、先生の御指導を頂き、私の心の中、太い一線がジワーととけて来ているのを感じます。先生と出会って良かった。残りの人生を人間らしく、生きていこうと強く思うこの頃です。
  • 自分も一生懸命生きる・・・自分も一生懸命頑張る事ないんだ(精神的)流れのままに行こう。私は地球の中の生物なんだ。
  • 自然の中に置かれている自分に今現在、生命が有るのがとても幸せ。

【考察】 当初、自分の家族環境に対してかなり否定的であったが、自分から積極的に暖かく関わるようになり、言葉の一つ一つからも相手の気持ちを量るようになってきた。


6.事例 (女性、35歳)
(1)人間関係
 「今迄、私のモノサシで人を見ていたため、相手によって接し方、態度etcで自分を変えたり、人によっては自分に必要ないと勝手に判断し、接することから逃げてきました。『出力』することで成長するとわかった今、人に対する私のモノサシをとり払い『私は私』というスタンスで人と接するようになりました。そうすると、自分自身 もラクになり、以前は外に出たくないことがよくあり、一日中部屋にいることがありましたが、今はなくなりました。」

(2)家族関係
 「両親への感謝の気持ちが強くなり、何か問題が起こったら、やつあたりみたいな行動をとっていましたが、最近はめったに出なくなりました。関係が良くなったこととは別に、私の中で、この家族でこういう風になりたいとか、こういう風にしたいという夢・希望みたいなものが出てきたので、これから、これに向かって動いていきたいと思う。」

(3)仕事関係
 「仕事場は、一日の中でも、最も人と関わりの時間が長い場所で、かつ、問題もよく生じます。ということは、成長するためには絶妙の場です。以前の私は、人間関係でトラブルがおこったとき、一人で悩んで、人に相談したりと、まず自分が中心でヒロインで終わってました。今は相手をしっかり見て、相手にまっすぐぶつかっていける自分がいるので、一人であれこれ悩む時間も減りました。今から思うと、相手に正直に話す自分ができてなくて(=自分に自信がもてなくて)、あれこれ一人で悩んでたんだな、とわかります。又、そうしてる時は、相手にも伝わりやすく、余計にこじれる。そういうことがなくなった今、今の仕事でどういう風に自分がなりたいか、自分が何をしたいかを、上司に云うことができました。人がたくさんいて、たくさんの人と関わるので、いろいろと毎日ありますが、以前に比べて良い関係になっています。」

(4)自分自身
 「マインドトークを知ったことで、今迄どれだけマインドトークにふりまわされてきたかがわかった。ということは、過去の情報や感情の中だけで生きていた訳で、そんな状態で新しい自分になれる訳がない。私は自分に自信が持てる自分を好きな自分になりたかったので、「こういう仕組みだったのか」というのがわかっただけでも大きなメリットでした。又、〈煩悩〉について、少しでも勉強できたことが、良かったです。私の勉強不足で、煩悩はいけないもの、みたいに思ってました。無欲が一番、煩悩は誰にでもあり、マインドトークを見れば、それが煩悩のどれに当てはまるかわかる。これを自分の傾向やくせを知るため、わかりやすくまとめてあるものととらえれば、自分を受け入れやすくなるし、成長の目安にもできる。そういうことがわかった上で、生きていると(多分)成長していくと思えることがもう一つのメリットと、感じています。」
【考察】 少し障害を抱えて生まれてきたことなどの、自分の環境を受け入れることができた。彼女を気遣う両親ともいい関係にもどり、家族としての生活設計も真剣に考えている。障害者の気持ちを理解できる同じ立場を積極的に活かし、自分にしかできないことで世の中に貢献しようと、専門講座に通い始めた。

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