アート創造の三方途

 アート創造の三方途

「我」を離れた目 

川上直也(アートプロデューサー、Art Office TAIAN

 

作年晩秋、送って頂いた北山喜与氏による「MY CHA」講習会の案内状に記された、柳宗悦の「日本の眼」や「創造する能力」、「最先端学問領域で再評価した東洋の智慧(唯識、禅)」の言葉が、私のなかで瞬時に繋がり、了解されました。同時に、長く自問を続けてきた問題を解明に導くことが出来る、その入り口が見出せるのではないか、と直感しました。

 

実作者としてではありませんが、美術展の企画や作品集の出版、また特定の建築空間にオブジェや絵画(所謂コミッションワーク)を企画設置して、新たな空間を創出するなど、美術の現場に30年ほど携ってきた私は、多くの美術家と関わり仕事を共にするうちに。いつしか作品を制作するという創造の営為の実相を見極め感得することが最大の関心事となってきました。そして、永い経験を経て、創造には後述する三つの方途があると思い到ったのです。

 

まず第一は、主体と客体との分離即ち二元論を基にした創造の方途です。主客対峙する状況で成立する客観的対象、経験界の客体を、主体に属する主観に依って、その本質を認識把握して堅固な創意を以って形象化する方法です。これは現代に到るまで様々に様式を変えながらも西欧を中心とする美術の王道、つまり、ギリシア哲学と一神教であるキリスト教を祖とする創造の根幹を成すものでした。初期ルネッサンスからの美術史に於ける傑作の殆どは、ここから生み出されたものです。かって、若年であった私はその多くを実見し、無心に対峙する旅を重ねました。それなりに当時は夢中であったと思います。しかしやがて、作家の堅固な創意そのものが、造物主たる神に垂直的に近付こうとする意志、あるいは、造物主に成り代わる意欲であると推量し始めてから、普遍的な価値を有する作品群に対してさえも、それらは私にとって現前に切迫するものでなく、埋めることの出来ない遠い記憶の様に感じられ、その感覚は現在に於いても払拭出来ないでいます。

 

 

第二の方途は、第一と同様に主客分離という基は共通でありながら、主情(情緒)を以って客体対象の本質の把握を志向する、または主情・心象風景などをそのまま対象化(作品)として表出するものです。たとえば、ゴッホの書簡には次のような記述があります。「僕は素描のなかの肝心な点をつかもうとする。― 次に輪郭で区切られた空間を、それが表現されていようがいまいが、感じたまま、単純化した調子で塗りつぶす。」

また、かの岸田劉生は「無形の表現はやはり『心をもって心を描く』と言うことに尽きる。」と自らの芸術論で述べています。ここには、第一の方途と同様、あるいはそれ以上に作者の創意作為が看取できます。やっかいなことに、この創意が、少なくとも私にとっては邪魔なものになってきたのです。芸術は人間が創造することがその前提ではありますが、創出された作品に貼りついた創意作為を見透かし、それらが「人」の域に在ることを感取した途端に、興が醒めてしまうようになったのです。この矛盾のラビリンスからの脱却は容易ならないものと思われました。

 

しかし、美術の全てに興味を失った訳ではありませんでした。むしろ幾つかの作品は、以前より一層鮮やかに映り、それらの作品との感応が自らの礎となっているとさえ感じ始めたのです。そうした作品に通底するものは、背後に作者の痕跡が一切無く、透明で、まるで自生したかのような佇まいでした。何故そうありえるのか。これが創造の第三の方途を仮定した端緒でした。

 

 

明治から大正にかけて、傑出した作品を残した中原悌二郎という彫刻家がいます。一般には馴染の薄い作家ですが、彼の名を冠した「中原悌二郎賞」は文壇における「芥川賞」に対応するものです。悌二郎は、前述した主観又は主情を以って事物の本質を把握する態度に鋭く対立して、これらを排しての創造を試みました。悌二郎は日記に「(木を描く時)或る者は是を自己の情緒、つまり木を見た時に感ずる情緒を以って描写する。(しかしこの)情緒なるものはつまり作者の主観である。― その木が持っている木其のものの心、つまり真相ではない。」と記しています。この記述の3年後、悌二郎は「岡田式静坐呼吸法」を考案した岡田虎二郎と出会い、岡田に私淑、肺患により32歳で逝去する直前まで静坐呼吸法の行を続け、岡田が推奨した道元の「普勧坐禅儀」などを精読しました。そして、参坐して4年程で悌二郎の作品は突然の飛躍を遂げます。彼に何が起こったのか、その実相を解明しようとして、私は一昨年、中原悌二郎と岡田虎二郎との関連をテーマにした展覧会を企画しました(2007年 愛知県田原市博物館)。悌二郎の造形思考を探求する過程で、唯識や禅に関わる資料書籍と向かい合ううちに、私は、悌二郎は無心で事物を見続け彫像を創る営為と、静坐呼吸の行を通じて、唯識におけるアラヤ識即ち深層無意識への礙を捨し、その域から経験界の物象を観る境位に悟入した、と思うに到りました。これが悌二郎の作品の飛躍の大きな要因であり、同時に創造の第三の方途であると考えます。

 

このような経験の例は、ひとり悌二郎に留まりません。悌二郎と同様にその作品が私を支えてくれている、現代の彫刻家土谷武氏(1998-99年・東京国立近代美術館、京都国立近代美術館で回顧展開催、2004年逝去)は、その晩年「あるとき友人宅の裏山を山裾から見上げていたら、幾十条もの緑の滝がもくもくと私に迫ってきた。(これに対して私は)全身で立ち向かわないと吹き飛ばされるような思いがした。」そしてこの経験を境に「(これまで)捉え切れなかった樹木に草花、山や野原、それらに不可欠な水や土や空気」に強い関心をもつに到った。さらに、ある夏の夜山麓で氏は「天も地も鳴り響いていた。全山鳴動といってよい。― 山々を揺るがせるような虫の声」に圧倒されます。

こうした体験の各々は、作家の主観主情の回路を通ることなく、即形象化されました。悌二郎の場合は参坐を続けたその最期まで、物象の本質把握への志向が窺えましたが、土谷氏自身は唯識や禅に無関心であったにも拘らず、自然への深い観照からその摂理を極め、膨大な時間を注ぎ込んだ創造行為の果てに迎えた、物の本質への拘泥から解放されたその晩年に於いての、「山が迫る」「樹木や草花だけでなく、それらに不可欠な水や土や空気などを全て等価なものとしてとらえる」「虫の声による覚醒」などの体験は、それぞれが唯識(仏教)における「真如」「無自性」の見性に相応するものではなかったかと、私には思われるのです。

 

勿論、それらは似て非なるものであるかも知れません。ただ、「非」であるか否かを検証するには、私自身が見性悟入を体認しなければならない。冒頭に記したように、日常のなかでのこの体認への入口を、私は探し続けていたのです。

 

 

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北山氏の講演会は、極めて明快なものでした。量子力学を予知するほどに仏教は科学と繋がることを知ってはいましたが、「大脳からみる心」を図説され、分節(全てが別々のものとしてある)世界、「我」への固執、マインドトーク(自分の意志とは無関係な心の中の自動思考や会話)などが存する域を新皮質、一元(無分節)、「寂」の世界を古皮質に分け、古皮質情報の顕在化が即創造たりうること。さらに、唯識におけるアラヤ識が両皮質の境界に位置することを教示頂いたことは、正に雲間に青空を見る思いでした。講演は続き、用意された数粒のレーズンを一粒ずつ口に入れてゆっくり噛み飲み込む、次に紙コップに入った茶の重さを自らが量り感じた後に静かに飲むという行為に集中することを求められました。レーズンを噛むと、歯に対する応力、唾液の出る様子までが判り、茶が食道を通る位置も感じられました。それらに、身体の全てが感応し、内と外(主体と客体)が渾然とした、これまでに経験したことの無い感覚にとらわれました。直後、北山氏は、古皮質情報の顕在化、マインドトークを鎮める為には、「一瞬の行為になりきること。」(そして、これが瞑想)と明言されました。文字通り、全てが「腑に落ちた」瞬間でした。私が求めていた境位の端緒はここにある。仏教において、見性悟入への過程は明確です。しかし、その境位自体は文字(理論)では説明出来ぬもの。見性を、「我」を離れた眼を、強烈に体認出来るのか、あるいはその周辺を無限に廻るに過ぎぬのか、先のことは分からない。ただ、未踏の領域に分け入ることを覚悟した、私にとって、晩秋の京の深い一夜でした。

 

 

その両日とも、会場となった高台寺洗心寮まわりの小石は冬の小雨に濡れてにび色の光を映していました。アート創造第三の方途の基となる「真如」見性の旅はまさにこの地から始まることとなる。けれども、到達点を予定せず、ただ「一瞬の行為に成りきること」と思い定めた為か、石踏む足音が今も耳に残るほどに心は静かでした。

 

1月18日北山喜与氏の講習は「心の発生」の解説から始まりました。脳内を大脳新皮質と大脳辺縁系に大別し、前者を人間脳、後者を動物脳とまず規定されました。人間脳である大脳新皮質では主に分別・判断がなされ、また意思行動・記憶認識の機能が属し、マインドトークもここから発せられる。対して、扁桃核を中心とし視床下部等を含む回路である大脳辺縁系においては、動物脳として情動神経系に関わる情報処理がなされていることが、簡潔明瞭に教示されました。

 

少し横道に逸れるかもしれませんが、北山氏が図示解説された「心の発生」のなかで、私にとって最も興味深い示唆は、大脳新皮質と大脳辺縁系の境界に、直感・ヒラメキの部位を措定されたことです。

 

前回のレポートで、実作者ではない私は、専らアートを感受する側からその創造の三つの方途を仮定しました。つまり、アートを如何に享受するかが私の仕事であり続けていると言えます。その経験から、情動(=情緒:心理学では同意とされている。また英語では感情も含め全てemotionとなる。)とアート享受時の心のあり様は全く異なると考えます。勿論、優劣の問題ではありませんし、個々の言葉の定義も厳密でないまま話を進めます。

 

例えば、八代亜紀の「舟歌」に、学生の合唱の歌声に、私は涙します。また昨今は「涙が溢れてとまらない」映画ほど感動的な作品と宣伝されます。しかし、この涙する感動は大脳辺縁系が掌る情動神経(情緒)が作用することに因るものと思うのです。そして、情動の背後には「人との関わり・共感」がある。人と出会い別れる、人との関わりのなかに共感は成り立ち、そのいずれの極北にも涙が伴うのでしょう。脳科学の本に「無意識のうちに他者に共感する能力」が大脳辺縁系に在ることが記されていたことも付しておきます。

 

これに対して、アートに対峙したときは、例えば冴え冴えとした鏡月を眺めているときのように、そこに人の気配は一切無く、孤絶し寂寞たる感覚のうちに、彼方で一瞬永遠が発光する。敢えて言葉にすればこのような心のあり様と言えます。この心作用は情動に因るものとは明らかに異なり、むしろ直感・ヒラメキに近いものであるかのように思われます。しかし確証に到ったわけでもなく、また深い問題を得たことが今後の楽しみとも感じています。

 

 

「心の発生」に次いで横隔膜呼吸法が講ぜられました。様々な息の話の後、各々が手で触りながら、胸部にある鎖骨・胸骨・肋骨・横隔膜などの位置を確認。そして、横隔膜を押し下げて腹式で息を吸い、出来るだけ細く長く息を吐く呼吸を実践しました。

 

かって岡田式呼吸静坐法を調べた折に、矢張り腹式で臍下丹田に気を集中して、長く息を吐く呼吸を行った経験がありましたが、丹田を自然に意識することが容易ではありませんでした。ところが、横隔膜を押し下げ胸部を拡大させると、逆に自ずから丹田の位置が分かり、楽に呼吸を続けることが出来たのです。横隔膜の中を心臓への大静脈が通っており、これを刺激することにより各臓器が活性化すること、さらにこの呼吸法はβエンドルフィンを放出し、自律神経を安定。また膨らんだ肺の表面から分泌される強力な末梢血管拡張作用物質が血圧を下げるなど、多大なリラクゼーション効果があることも説明されました。

 

呼吸は確かに内界と外界との最も直接的な交通であると思います。会場で横になって横隔膜呼吸を続けていると内と外との境界が希薄になり、ある種の浮遊感に包まれて、不眠症気味の私でもわずかな時間の内に眠ってしまいました。

 

 

以前から特別の関心を抱いていた唯識の講習は2月22日に始まりました。「仏教における最高の理論的達成」と言われるこの学問は、興福寺蔵の鎌倉期に作られた代表的肖像彫刻としても名高い「無着(アサンガ)」と「世親(ヴァスヴァンドゥ)」(二人は実の兄弟で、ともに四世紀の高僧です。)によって完成させられたと言われています。

 

前のレポートでも少し述べましたが、私は敬愛していた作家の造形思想に触れて二つのことを実感していました。ひとつは、物にはその物自体であることを保証するような本質は無いこと。もうひとつは、私が観ている世界と同じように他者は観ていないこと。これらは実感というより確信に近く、つまり二つの結語があるばかりで、その連関も経緯も把握できない不可解な状況が続いていた折に唯識と出会いました。

 

「世界は、心がつくり出したものであり、心の所産である。物質的存在も心のあらわれにほかならない。」「世界は心の中に収められ、その心は生じた瞬間に滅して次の瞬間の心と交替する。」と説くこの思想はまさに衝撃的でした。唯識は前述の二つの結語を矛盾無く吸い込んだばかりか、さらにその遥か先を示していました。

 

しかし、早く全貌を知ろうと何冊かの本を読んだものの、とても手に負えるものではなく、ただ言葉だけでは掴むことが出来ないことだけは解りました。対して、既に唯識を体認されている北山氏の解説は極めて明確で自在でした。

 

殊に、心がすべてを生み出すことそしてその心は一瞬の生滅を繰り返す。つまり心のトラブルは瞬時に捨て去ることが出来、同時に新たな心がまた現出することを強調されました。限られた紙面での詳述は難しいのですが、北山氏はさらに、アラヤ識に在る種子(この語を「しゅし」ではなく「しゅうじ」と読むことも初めて知りました。本による知識取得の限界の一端です。)が相互に因となる現行(これも「げんぎょう」と読みます。)即ち「縁起」、また「空」論に到るまで、唯識の要点を説明いただきました。本来の唯識がヨガ行を伴うように、このプログラムにおいても、様々な行法の実践を継続しながら少しずつ唯識に近付くしか途は無いと、また覚悟いたしました。

 

 

ふたつの講習会では、可児雅昭氏によって「調身」のレクチャーも行われました。自分の身体は分かっているようでも、実態は殆ど把握していない。可児氏の指導のもとに、各々が様々な姿勢の保持や動作を試みる内に、例えば左右の足の長さが異なること、背骨の湾曲など、自らが生物「本来の基本姿勢」からいかに離れているかを知りました。自分の癖や心が基本姿勢を勝手に変容していたことを実感出来た貴重な機会であったことを付しておきます。

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