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「マインドフルネス道8W個人プログラム研修」を受講して
2018.12.24寄稿 女性(49歳・会社員)
私は25年会社勤めをしてきましたが、自分の天職をみつけられないまま、会社で管理職になりました。「どうでもいい」と思いながら仕事をする日々に疲れ果て、マインドフルネス道を本格的に学ぼうと思い立ちました。
2018年6月から個人プログラムをしていただけることになり、これも何かのご縁と思い、8週間にわたって5回通わせていただきました。毎回、学びの密度が濃く、帰り道は茫然としていたように思います。
私はマインドフルネス道のやり方で自分と仕事をみつめなおしました。「周りの人たちが追い詰められていて、自分は振り回されている」と思っていましたが、追い詰められていたのは自分の脳だったと気付きました。また、私は思っている以上に、「周りの人に良く見られたい」という欲が強いことにも気付きました。そして、「いつも少しずつ逃げていて、それが自分を苦しめている」ということにも気付きました。
8月にプログラムを終える頃には会社をやめたい気持ちがなくなっていて、「共感能力のある管理職になって部下を指導育成したい。仕事のできる上司は沢山いても共感能力のある上司は意外に少ないと思う」と北山先生に書き送りました。「私は人のために生きたい」という気持ちが素直にわいて来たのです。
個人プログラムの過程で北山先生にまるごと認めてもらえたことは私の人生の中でも大きな出来事でした。私は自分を少しずつ肯定できるようになっています。
会社では相変わらず、仕事の出来る上司と部下の間でぼんやりしており役に立っている感はあまりなく申し訳なく思っておりますが、以前のように自分はダメだと思い込んでひどく落ち込むことはなくなりました。
そして不思議なことに、私にアドバイスを求める人が出てきたのです。そして私はその人たちに話したいことが沢山あるのです。仕事をする日々の中で苦しい思いを抱えていて、自分と人生について考えている人たちです。抱えている悩みもさまざまなので、私の言いたいことがどのくらい伝わっているかはわかりません。でも私が悩んできたことは無駄ではありませんでした。私は自分が誰で何をしようとして今どこにいるのか、やっとわかりました。ずっと迷子のような気持ちでしたが、私のしてきたことがなんだったのか、マインドフルネス道というものを通して、初めてすべてがつながったと感じています。私はこれから、この道をただ一歩ずつ歩くだけだと思っています。私に関わってくださったすべての人と出来事に、心から感謝しています。
「マインドフルネスを仕事に活かす」
2015.4.11寄稿 吉田敏之氏(奈良県)
自分が仕事としている「リフレクソロジー療法」は、クライアントの手や足に触れたままで長時間の施術に集中していなければなりません。
リラクゼーションの意味合いもあるので一般的に施術中のクライアントは眠っている場合が多く、会話をすることもなくただ黙々と施術に集中して時を過ごさねばなりません。
また指先を動かすのみで他療法に比べてほとんど大きな動きもなく座りっぱなしのまま、薄暗い室内で静かなヒーリング音楽とリラックスアロマの香りの包まれながら60~90分という長時間を片時も気をそらすことなくクライアントの足裏に集中することが必要となります。
坐禅のときのように警策で打ちすえてくれる僧もおらず、孤独のなかで闘っているようなもので、マインドトークの嵐に翻弄されながら、そしてときおり襲ってくる睡魔に絶えず抗いながら集中力を持続させることはかなりの忍耐力が必要とされ、また低い椅子に座って長時間過ごすことは腰や背中に負担がかかって、想像以上に心身を疲労させる結果となります。
日頃から不摂生や不規則な生活習慣を戒め、心身を整えるよう心がけていてもやはり辛く感じることが多くありましたが、マインドフルネスを取り入れるようになってからは心身にかかる負担が激減しました。
手技療法のセラピストは自分自身が商品のようなものであり、その心と体の品質管理は他の業種にくらべて重要で、心と体が整っていない状態での施術はまるで欠陥商品を売るようなものだと認識しています。
クライアントに触れている間は特に「気の流れ」の交換がおこなわれていますから、姿勢や呼吸が整わず体がアンバランスな状態や、頭の中がマインドトークだらけで心ここにあらずの状態では良い施術ができるわけがなく、またセラピストにどんどん負担が蓄積されていってしまいます。
クライアントの為に、また自分自身の為にもなにか心身を安定させる技を身につけねばと長年にわたり思っていましたが、マインドフルネスとの出会いはまさに自分にとって求めていたものであり、またひいてはクライアントにとっても施術効果が高まる結果になっていると感じています。
いつも自分と共にある呼吸に意識を向けるという簡単な方法は、いついかなるときでも安定と安心をもたらし、緊張や不安などの心のマイナス部分をプラスに変えることができます。
マインドフルネスによって全ては自分の内にあることに気づけたことは何にも変え難い収穫であり、対人関係だけでなくあらゆる物や自然との関係が良好となって、全てを受容し人生そのものを味わうことができる生涯の宝を得たように感じています。
マインドフルネス8週間プログラム一日体験感想文
2015.3.7寄稿 早稲田大学政治経済学部2年
中村浩尚氏
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中村氏は、早稲田大学内インキュベーションセンターにて、Algoという会社を運営し、マインドフルネスの普及活動を行っている。
北山先生とのご縁があり、教育・医療等の専門家を対象とした、8週間プログラムの最終日に、急遽参加させて頂くことになりました。
はじめは、8週間の研修を受講されてきた方々についていけるか、少し不安でしたが、快く迎えて頂き、安心して参加することができました。
仏教の考えを取り入れた講義は、難解な部分がありましたが、ワークの内容は、飲む瞑想など、基本的なものでした。しかし、簡単な動作の中に、受講者の皆様は、深い気づきを得られており、驚きました。
私が想定するマインドフルネスの研修とは、マインドフルネスの実践を必要とする人たちが、ボディワークや瞑想法のエッセンスを教授され、それを各自が継続することで、効果をあげるものでした。
しかし、当研究所のマインドフルネス研修は、各々が独自に専門性を持つ方々が受講し、自らの活動の中に、マインドフルネスのエッセンスを溶けこませ、教育・医療などの様々な角度から、マインドフルネスを必要としている人々に、その恩恵をもたらすという方向性をとっています。
それは一見、変化球的であり、研修の手法として、特異なものであるように感じていました。
しかし、今回の体験を通じ、マインドフルネスが、テクニックに留まらない「道」であるという考えを、より具体的に理解することが出来たと感じている今、むしろ本来、そうあるべきものだと思っています。
マインドフルネス8週間プログラム受講レポート
2015.2寄稿 西山純一氏(32歳・大阪市)
●大手フィットネスクラブにてパーソナルトレーナーとしてダイエット指導、高齢者の運動指導、スポーツ選手の競技力向上、ボディワーク(10年目)
●摂食障害、パニック障害、うつ病の方のセラピー(2年目)
●大阪リゾート&スポーツ専門学校 講師(5年目)
①何を期待して参加したか?また、続けてきたか?
マインドフルネスをちゃんと実践できる先生から学びたいと思い人間性探究研究所の8週間プログラムに参加することになった。マインドフルネスは理論だけ学んでも仕方がなく、実践してきた人、体感してきた人から出てきた言葉や雰囲気を知りたいというのもあった。
8週間プログラムの合間のホームワークではマインドトーク洞察日誌とボディスキャン、呼吸にとにかく取り組んだ。僕は少し学ぶとすぐにアレンジしたがるところがあるのだが、今回は言われたことをそのまま取り組んだ
②何を得たか、学んだか?
特に気付かされたのは、自分の精神的に弱いところや偏った物の見方であった。自分はどちらかと言えば自信がある方なのだが、それをマインドフルネスで自分と向き合い深く掘り下げていくと、我が強い、他人と比較しているという部分が見えてきた。
ある程度、自分はマインドフルネスを実践できていると思っていたがそれも自分だけの思い込みで、まだまだやることはたくさんあると認識できた。
自分は身体に関することをずっとやってきたが、身体で感じることの大切さ、身体を使うことの大事さを改めて気づかされた。
講師の北山さんをはじめ今回同時に参加された方々は良い空気をお持ちで、雰囲気も良く一人で瞑想を行うよりも深く瞑想に取り組めた気がする。
共に学ぶ仲間や場の大切さが改めてわかった。
この8週間プログラムで一番得たのはともに学ぶ仲間である
③自分にとって、成長するための最も大きな障害は何か?
自分の成長を阻害しているのは、我の強さ。正直なところ心理や身体、健康や栄養などは他の誰よりも勉強しているという自負がある。しかしそれがプライドの高さになり、他と比較したり、比べたりする要因になっているのだと思う。また勉強していない人を見下す傾向がある。
その部分と向き合って乗り越えることができればもっと成長できるし、良いものを多くの人に還元できると思う。
④自分にとって、どのような方法が役に立つと思うか?
人間は他との関係性が重要だ。もっといろいろな人と本気で向き合って関係して共感して、頭でなく身体と心で感じることが自分にとって必要だと思う。
それにはまず自分のことを知ること。それにはマインドフルネスを日常の中で継続するしかない。と同時に他者とも本気で関わる。これはもちろん簡単に出来ることではないし完璧もないかもしれない。一生をかけて取り組むものである。
一生をかけて取り組む価値のあることだ。
⑤マインドトーク洞察日誌をつけることにより、どのようなことに気づいたか?また、記載しづらい点はどこか?
マインドトーク洞察日誌のような自分の感情や思考を書き起こすのは初めての経験だった。感じたことをうまく言語化できずにいろいろとマインドトークが頭の中を駆け巡った。それなりにマインドフルネスを実践してきたのだが、日誌をつけることによって、マインドトークがどこからやってくるのか?このマインドトークにはどんな意味があるのか?より深く自分を観ることが出来た。
当初は「めんどくさいな」とも思ったが、気づきを得るためにはやってよかった。
マインドトーク洞察日誌はマインドフルネスの初心者や上級者に関わらず、取り組んだ方が良いとも実感した。他の方はどうか知らないが、僕の場合はポジティブなマインドトークが多かった(自分はすごい、自分ならできるなど)
坐禅・理論合宿レポート
2015.2寄稿 女性 作業療法士(福岡県)
Ⅰ.あなたは何を期待してこの合宿に参加されましたか?
8週間プログラムに参加させていただき、マインドフルネスの入口を教えていただいたように理解をしておりました。日常的に使えるようになるためには、もっとマインドフルネスとは何かということの理解と、体験を深めることが必要と思い、合宿に参加させていただきたいと思いました。
しかし、8週間プログラムでのマインドフルの入口でつまずいているような感覚になっていた私には、少しレベルの高いものに思えて、ためらいがありました。8週間プログラムが終わってマインドフルネスがつかめているとかいないとか以上に、自分をもっと知りたいと思うようになりました。自分に自信がなかったり、何か上手くいかない感じがあったりする自分の根っこを知りたいと思い、どうすればそこに行きつくか教えていただけるような気がして合宿の参加を決めました。
Ⅱ.「何を得ることができましたか」、それぞれについてできるだけ詳細に述べてください。
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坐禅
坐禅だけでなく、坐禅を中心とした生活すべてからの学びとして書かせていただきます。自分の日常がいかに、必要でないものに振り回されているかが、よく分かりました。そして、目に見えない人や、物に助けられて生活しているという感謝の心を忘れているかということに気づきました。食事のときの、鳥へ分ける米つぶを取っておくという心が、身近な人にも向くと、「助け、助けられ」という優しい毎日になるだろうと感じました。また、「おかげ様」という言葉のもつ意味も味わっていました。
坐禅では、回数を重ねるごとに、狭い視界から外れたところがぼやけていき、「集中」とはこういうことだと感じました。また、物にあふれた自分の部屋で行う瞑想では、マインドトークがあふれてくるのに比べて、研修中の坐禅はマインドトークが少なく日常から時間を切り離した時間という経験をすることが出来ました。
また、場や一緒に行っている方のもっているエネルギーの強さなのか、組んでいる手に感じるものがとても強く感じました。マインドフルネスの練習で「日常から離れた贅沢な時間」とよくお聞きしますが、実際にそういう空間を作ることも大切と学びました。
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唯識のマインドフルネス的理解
私には、難しすぎて理解できるところに到達しておらず、「得たもの」がよく分かりません。内容からではないのですが、「もっと知りたい」という思いは得ることが出来たと思います。研修にあたって、慌てて予習しようと横山紘一先生の本を読みながら研修に参加したのですが、字を追っているだけであったものが、帰りの道中で続きを読むと「昨日習った言葉だ」と少し親しみがわいてきました。それだけでも、自分にとっては大きな収穫だと思っています。
今の自分を作っているのは、まぎれもなく自分であるということの理解をしました。私は、「どうして私は、同じような悪い環境に入って同じような目にあうんだろう」とよく思っていました。しかし、その時にマインドトークに気づき、悪いものとして蓄積されなければ、その後の環境も変わったのかもしれないと思いました。阿頼耶識には、生まれながらに蓄えているものがあると学びました。それは変えることが出来ませんが、その後蓄えるものをよいものにすることで、意識するもの、知覚するものが変わっていくことが出来るということでしょうか?
きちんとした理解はできていませんが、マインドフルネスを深め、マインドトークが減っていったり、自分のマインドトークに気づき行動を変えることが出来たりするようになると、自分の人格が変わってくる、そして自分が人によい縁になって、人の中に蓄えられるものが、変わってくると、社会全体が変わってくるという理解をしました。少し違うかもしれませんが、社会のよいものの発生源になりたいという思いを得ることが出来ました。
3.からだ調整
研修の間は、教えていただく動きを行うことで精いっぱいで、その動きが何を意味しているか、なぜ行っているかの理解は不十分だったと思い、もったいない気持ちがしています。マインドフルネスとよくつながっていないかもしれませんが、大きく二つのことを得たと思います。
まずは、自分の体を観察する機会が増えたこと。私は、同じような部位が、ぎっくり腰になることがあり、自分の腰の硬さはわかっていたつもりでした。研修の中にいろいろな動きをしていると、当然のようにその部位が、ギシギシいうような痛みが出てきました。研修後、習った動きをしながら、「今日はどうかな」とみてみたり、次の日などに「痛みは残っているかな」と体と対話したりすることが、増えました。そうしていると、身体の癖というものが、少しずつ修正されていく感じがしています。
もう一つは、この課題を作成する中で思ったことですが、マインドフルネスという分野でも、自分らしさを出すことが出来るかもしれないと思ったことです。私は、作業療法士という仕事をしていますが、臨床経験は精神科の分野のみであり、学校で学んだ体の知識は、学生時代を頂点に薄らいでいくばかりでした。体も扱える療法士でいたいと、身体の分野の研修などに参加して自分なりに勉強を続けようとしてはいましたが、日々の臨床で知識も技術も使う機会がないと、忘れてしまったり、モチベーションが続かなかったりしていました。
しかし今回の研修のからだ調整の内容は、関心を向けてきた内容に近く楽しく聞くことが出来ました。今の職場でのマインドフルネスのプログラムは、思考や気分の観察が主で身体をダイレクトに扱うことはなく、私自身がプログラムへの関わりが少ないこともあり、マインドフルネスをハードルの高いものと感じていました。
しかし、今回の研修の中で「からだ調整」ということがマインドフルネスに必要であると繰り返し教えていただいたことで、こころと体がつながっている以上、体を見ることが出来る人がマインドフルネスに関わることも、今後必要とされるかもしれないと思い、私は、そこで少しでも役立てるように学びを深めたいと考えました。
4.シェアリング
私は、「どうして、私はいつまでたっても、マインドフルネスのスキルがつかないんだろう」という思いを強く持っていました。「体験を通していくしかない」と言われながらも、どこが、合格ラインで、今自分はどのレベルにいるんだろうといった思いから抜け出すことが出来ずにいました。
今回、シェアリングのときに入れていただいたグループは、何度も研修に参加されている先輩方 ばかりで構成されていました。私は、最近あった、少しマインドフルになれたような気がした話をしました。そのあとに「どんなことが出来たときから、マインドフルネスのスキルがついたと感じましたか」という質問をさせていただきました。班の方は、少し不思議そうな顔をされて「どうなりたいのか?」と聞かれました。自分の中で「こういうふうにならないとマインドフルでない、という像がある」と思っていたと改めて気づきました。
そして、「話を聞いていると、出来ていると思うけど」と言っていただきました。「できない、できない、できない」と思っていたものから、少し力が抜けることが出来ました。また、「スキルを身につけたいとこのような研修にくるのも、目的があって、マインドフルネスでない気がしてきて分からなくなる」という質問をすると、「必要なものが見えてきて、仕分けが出来るようになる」と話してくださいました。これでいいのかと力が入っていたことから、少し解放出来たことは大きな収穫となりました。
Ⅲ.次回研修に向けて、ご意見をお聞かせください。
今回の合宿のようなマインドフルネスの根っこにある考えを教えていただけること、瞑想実践、各々が行っているマインドフルネスな日常生活のシェアの3本立ての内容で定期的に研修があっていただけると、本当にうれしく思います。
瞑想を続けていくためには、知識があって良さを知っていることが必要だと思います。私には、理解がすぐに出来ることでない難しい話が多いので、小出しにするように少しずつお話いただけると、助かります。また、日常の中で、「こんなことをマインドフルに感じた」といったことを話す機会があると、自分がマインドフルを生活の中で応用出来ていると確認することが出来、また、よりよい日常になると思います。
私は自分の気づきを「これでいいのか?」とすぐに不安になるので、定期的な機会があれば、そのたびに自分を見直すことが出来るので、助かると思います。
大変お世話になりました。
坐禅合宿体験者記事
2013.09.30 吉田敏之氏(奈良県)
マインドフルネスのセミナーで二泊三日の日程で禅寺での合宿に参加しました。室町時代から続く由緒あるお寺で、本来はお坊さんになるための修行をおこなう専門僧堂ですが、今回は特別のはからいにより一般人の我々の修行体験を認めていただきました。
合宿日程表では晩9時消灯、朝3時半起床といかにも禅寺らしい。お堂での「朝課(ちょうか」」(お経をあげる)、その後「作務(さむ)」(掃除などの雑務による動きの中の禅トレーニング)を早朝からおこない「粥坐(しゅくざ)」(食事)となります。
この合宿のなかでも特に心に残ったのが禅寺での食事で、8週間プログラムでのレーズン瞑想はこの食事作法を基本にされているのではないかと感じました。いろいろ決まりごとがあり、皆そろって並び坐禅と同じように足を組んだ状態になったところで各々の器に、修行に培われた作法に則って食事が配膳されます。献立はとてもシンプルでヘルシーな内容です。そして食事への感謝の祈りを捧げてからいただきますが、当然のことながら食事中の私語は禁止で黙々といただきます。
食べる前に配膳されたらまず「生飯(さば)」を取って机上の器の前に置きます。「生飯(さば)」とは米粒を2~3粒とって鳥や小動物などに捧げる為のもの。こういう細かい配慮というか優しさが、自然に作法のなかに取り入れてあることに仏教の「慈悲」が感じられました。器は食べ終わった後に配られる白湯を飯のはいっていた器に注ぎ、一枚だけ残してあった沢庵できれいに器の内部を拭いその沢庵を食べます。次に汁の入っていた椀に湯を移し箸や飯の器の縁を指先で洗い、最後にまた飯の器に湯を戻して汁の椀を洗った後に残った湯を飲み干します。
一般社会や家庭ではお行儀が悪くあまり衛生的でないように感じられますが、この作法は非常に無駄がなく理にかなっており、その所作はとても美しく、食べ物を大切にしている尊さが感じられました。そしてこの食事中はマインドトークも少なくとても集中できていたようです。
禅堂での本格的な坐禅も家でおこなうのとは違い、ピンと張った緊張感から時間が経つにつれて集中が高まりやがてそれが心地よくなって深いリラックスへと繋がる感覚がありました。「警策(けいさく)」で背を打たれるのも気が引き締まってまたよいものです。
礼儀や作法などは形式ではありますが、決められた形や規律のなかに身をおくと精神(心)にはたらきかける力が増幅され結果的に自らの成長に大きな影響を与えるのだとその意味の深さを感じました。非日常空間で過ごすことによって集中・気付きが得られます。
これは他の瞑想セミナーなどでも体験できるかもしれませんが、禅寺という場所は長きに渡って培われてきた特別なものが感じられます。余分なものを削ぎ落とし無駄のない質素な生活のなか、「ただ食べる・ただ作業する・ただ坐る」とシンプルな行為をおこなうことで自らをリセットし、ニュートラルな状態から本当の自己を発見できたと感じています。